2011 / 07 / 31 ( Sun ) 10:08:13
「北の国から」30周年!五郎の作った“すごい家”を巡ろう
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110730-00000007-tkwalk-ent
「北の国から」はドラマの放送開始から30周年をむかえたのですね。さだまさしさんの歌声とともに、強いイメージがしっかり残っています。
このドラマを通じ富良野は多くの人に認知されるようになったと思いますが、大自然の素晴らしさと共にこれからも多くの人を魅了し続けるのではないでしょうか。
といいつつ私はまだ富良野を訪れたことはないのですが・・・! 季節もいいですし、北海道富良野、本当に惹かれます。
記事の中にある五郎さんが作ったという家ですが、画像を見るだけでとっても面白いです。クリックして工夫が凝らされたその家の様子を楽しんでみて下さい。
<冒頭記事より引用>
ドラマの放送開始から30周年を迎えた「北の国から」。テレビドラマ史上に残る名作として、舞台となった北海道・富良野には、今も多くの観光客が詰めかけている。ロケ地をたどる旅はお勧めだが、なかでもユニークな家が並ぶ場所「拾って来た家-やがて町」(富良野市麓郷)は本当にすごい! 夏休みに出かけて、俳優・田中邦衛さんが演じた“黒板五郎”が、廃材を集めて作ったという家々をじっくり見学してみては?
【画像を見る】こちらは電話BOXを利用した「雪子のアトリエと住居」
■電話BOXを利用!「雪子のアトリエと住居」
義妹・雪子のために建てた家は、五郎が作った中で最大級の規模。至るところにアイデアが盛り込まれ、オシャレに仕上がっている。中でもすごいのは、台所の勝手口に、すっぽりはめ込まれた“電話BOX”! 雨風が避けられ、使い勝手も計算済みなのがにくい。また、台所の水場の床にはワイコルクが敷き詰められているのも見逃せない。実際に立ってみると、保温性があり、実用性に富んでいるのが分かる。
■ゴンドラを利用!「正彦とすみえの家」
当初は純と結のために建てていた家だったが、親友・中畑和夫の頼みで彼の娘・すみえと夫・正彦の住居になった。ゴンドラや金庫など町の協力を得て廃材を収集し、かわいい家に大変身。屋根には緑を植え、暑さ対策も万全だ。また、スキー場から譲ってもらい、出窓に活用したという“ゴンドラ”には驚き! 古紙を再利用して作った電灯も魅力的だ。
■廃車寸前のバスを利用!「純と結の家」
「純と結の家」は、2004年12月に完成した新居。外観から、ひと目でバスを使ったことが分かるが、家の中でもバスの部品がうまく使われているところがすごいのだ。リビングでは、後部座席がソファーの代わりに。窓が大きく、しっかり陽差しが入るのもポイントだ。さらに、風呂場のアメニティ置き場には手すり、台所の小物置き場には吊り輪が無駄なく使用されており、黒板家らしさ満点! 窓に埋め込んだ乾燥機の扉なども良い味を出しているのでチェックしてみて。
他にも、黒板家が最初に住んだ家や、石を積み上げて築いた家など、ムード漂う家が満載の富良野。ドラマの主人公たちがフッと現れそうなほど、当時の面影が残る「拾って来た家-やがて町」へ、是非ドライブに出かけてみてはいかが?【東京ウォーカー】
「拾って来た家-やがて町」TEL 0167・23・3388(ふらの観光協会)
<引用ここまで>
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110730-00000007-tkwalk-ent
「北の国から」はドラマの放送開始から30周年をむかえたのですね。さだまさしさんの歌声とともに、強いイメージがしっかり残っています。
このドラマを通じ富良野は多くの人に認知されるようになったと思いますが、大自然の素晴らしさと共にこれからも多くの人を魅了し続けるのではないでしょうか。
といいつつ私はまだ富良野を訪れたことはないのですが・・・! 季節もいいですし、北海道富良野、本当に惹かれます。
記事の中にある五郎さんが作ったという家ですが、画像を見るだけでとっても面白いです。クリックして工夫が凝らされたその家の様子を楽しんでみて下さい。
<冒頭記事より引用>
ドラマの放送開始から30周年を迎えた「北の国から」。テレビドラマ史上に残る名作として、舞台となった北海道・富良野には、今も多くの観光客が詰めかけている。ロケ地をたどる旅はお勧めだが、なかでもユニークな家が並ぶ場所「拾って来た家-やがて町」(富良野市麓郷)は本当にすごい! 夏休みに出かけて、俳優・田中邦衛さんが演じた“黒板五郎”が、廃材を集めて作ったという家々をじっくり見学してみては?
【画像を見る】こちらは電話BOXを利用した「雪子のアトリエと住居」
■電話BOXを利用!「雪子のアトリエと住居」
義妹・雪子のために建てた家は、五郎が作った中で最大級の規模。至るところにアイデアが盛り込まれ、オシャレに仕上がっている。中でもすごいのは、台所の勝手口に、すっぽりはめ込まれた“電話BOX”! 雨風が避けられ、使い勝手も計算済みなのがにくい。また、台所の水場の床にはワイコルクが敷き詰められているのも見逃せない。実際に立ってみると、保温性があり、実用性に富んでいるのが分かる。
■ゴンドラを利用!「正彦とすみえの家」
当初は純と結のために建てていた家だったが、親友・中畑和夫の頼みで彼の娘・すみえと夫・正彦の住居になった。ゴンドラや金庫など町の協力を得て廃材を収集し、かわいい家に大変身。屋根には緑を植え、暑さ対策も万全だ。また、スキー場から譲ってもらい、出窓に活用したという“ゴンドラ”には驚き! 古紙を再利用して作った電灯も魅力的だ。
■廃車寸前のバスを利用!「純と結の家」
「純と結の家」は、2004年12月に完成した新居。外観から、ひと目でバスを使ったことが分かるが、家の中でもバスの部品がうまく使われているところがすごいのだ。リビングでは、後部座席がソファーの代わりに。窓が大きく、しっかり陽差しが入るのもポイントだ。さらに、風呂場のアメニティ置き場には手すり、台所の小物置き場には吊り輪が無駄なく使用されており、黒板家らしさ満点! 窓に埋め込んだ乾燥機の扉なども良い味を出しているのでチェックしてみて。
他にも、黒板家が最初に住んだ家や、石を積み上げて築いた家など、ムード漂う家が満載の富良野。ドラマの主人公たちがフッと現れそうなほど、当時の面影が残る「拾って来た家-やがて町」へ、是非ドライブに出かけてみてはいかが?【東京ウォーカー】
「拾って来た家-やがて町」TEL 0167・23・3388(ふらの観光協会)
<引用ここまで>
2011 / 07 / 24 ( Sun ) 21:24:04
「韓国料理の屈辱」、世界美食トップ50に1種も選ばれず=韓国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110724-00000019-scn-kr
1位に選ばれたタイのイスラム風カレー「マッサマン・カレー」は初めて聞きましたし、もちろん食べたことがありませんが、どんなカレーなんでしょう。一度食べてみたいものです。
記事では韓国メディアのことを取り上げていますが、韓国の人だけでなく、やはりランクインしなかった国の人はいい気持ちはしないでしょうね。
食べ物はその国の文化でもあり、とても主観的なものですので、本来ランキングには向かないのではないかと思います。
それにしてもランクインした食べ物を含め日本にいながら世界中の食べ物を食べることができる環境で暮らせていることはとてもありがたいです。
ちなみに「マッサマン・カレー」はこのようなカレーみたいですよ。
http://thaino.seesaa.net/article/184586138.html
<冒頭記事より引用>
米国のニュース専門放送局CNNで観光情報や生活情報などを提供しているサイト「CNNGO」が22日、「世界で最も美味しい食べ物TOP50」を発表した。この美食ランキングに韓国料理が1種も選ばれなかったことから、韓国メディアは「韓国料理の屈辱だ」とし、日本と中国の「嫌韓」ネットユーザーらが非難していると伝えた。
報道によると、「CNNGO」が発表した世界美食ランキングで1位に選ばれたのは、タイのイスラム風カレー「マッサマン・カレー」だった。それに次ぎ、ナポリ・ピザ(イタリア)、チョコレート(メキシコ)、寿司(日本)、北京ダック(中国)、ハンバーガー(ドイツ)、ペナン風アヤム・ラクサ(マレイシア麺類)、トムヤムクン(タイ)、アイスクリーム(米国)、チキン・ムアンバ(アフリカのシチュー料理)の順だった。
アジア地域では、美食ランキングトップ50に19種の料理が選ばれた。そのうち、日本料理は寿司や和牛ステーキ(29位)、アンギモ(32位)など3種もランクインしたが、韓国の料理は1種も選ばれなかったという。
韓国メディアは、この結果に対する中国と日本国内の反応を確認し、日本と中国の一部の「嫌韓」ネットユーザーらは、韓国料理が選ばれなかったことについて「何でもかんでも自分らが1位だと主張する韓国人がこのランキングを見れば激怒するだろう」などと皮肉っていると伝えた。
また韓国メディアによれば、同結果に不満を持つユーザーらのため、「CNNGO」は100種類の食べ物を「フェイスブック(SNS)」に挙げ、「美食」に相応しい料理を選定するオンライン投票を行っており、中にはキムチやブルゴーギなど韓国の代表的食べ物が挙がっているという。(編集担当:永井武)
<引用ここまで>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110724-00000019-scn-kr
1位に選ばれたタイのイスラム風カレー「マッサマン・カレー」は初めて聞きましたし、もちろん食べたことがありませんが、どんなカレーなんでしょう。一度食べてみたいものです。
記事では韓国メディアのことを取り上げていますが、韓国の人だけでなく、やはりランクインしなかった国の人はいい気持ちはしないでしょうね。
食べ物はその国の文化でもあり、とても主観的なものですので、本来ランキングには向かないのではないかと思います。
それにしてもランクインした食べ物を含め日本にいながら世界中の食べ物を食べることができる環境で暮らせていることはとてもありがたいです。
ちなみに「マッサマン・カレー」はこのようなカレーみたいですよ。
http://thaino.seesaa.net/article/184586138.html
<冒頭記事より引用>
米国のニュース専門放送局CNNで観光情報や生活情報などを提供しているサイト「CNNGO」が22日、「世界で最も美味しい食べ物TOP50」を発表した。この美食ランキングに韓国料理が1種も選ばれなかったことから、韓国メディアは「韓国料理の屈辱だ」とし、日本と中国の「嫌韓」ネットユーザーらが非難していると伝えた。
報道によると、「CNNGO」が発表した世界美食ランキングで1位に選ばれたのは、タイのイスラム風カレー「マッサマン・カレー」だった。それに次ぎ、ナポリ・ピザ(イタリア)、チョコレート(メキシコ)、寿司(日本)、北京ダック(中国)、ハンバーガー(ドイツ)、ペナン風アヤム・ラクサ(マレイシア麺類)、トムヤムクン(タイ)、アイスクリーム(米国)、チキン・ムアンバ(アフリカのシチュー料理)の順だった。
アジア地域では、美食ランキングトップ50に19種の料理が選ばれた。そのうち、日本料理は寿司や和牛ステーキ(29位)、アンギモ(32位)など3種もランクインしたが、韓国の料理は1種も選ばれなかったという。
韓国メディアは、この結果に対する中国と日本国内の反応を確認し、日本と中国の一部の「嫌韓」ネットユーザーらは、韓国料理が選ばれなかったことについて「何でもかんでも自分らが1位だと主張する韓国人がこのランキングを見れば激怒するだろう」などと皮肉っていると伝えた。
また韓国メディアによれば、同結果に不満を持つユーザーらのため、「CNNGO」は100種類の食べ物を「フェイスブック(SNS)」に挙げ、「美食」に相応しい料理を選定するオンライン投票を行っており、中にはキムチやブルゴーギなど韓国の代表的食べ物が挙がっているという。(編集担当:永井武)
<引用ここまで>
2011 / 07 / 17 ( Sun ) 16:29:08
日本の新幹線は素晴らしい=47年間死亡事故ゼロ、秒単位の正確さ―中国紙
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110716-00000007-rcdc-cn
47年間死亡事故がゼロであることは素晴らしいし、同じミスを繰り返さない管理の仕方は高く評価できると思います。
失敗から謙虚に学ぶこのような態度が日本の経済成長を支えたのだと思うし、そのことは私も見習いたいです。
それにしても手放しで褒める中国紙に違和感を覚える私は中国のイメージに囚われているのでしょうか!
<冒頭記事より引用>
2011年7月15日、中国国営新華社通信系の週刊紙・国際先駆導報は、「日本の新幹線は開業から47年間、1件も死亡事故が起きていない。列車到着時間も秒単位で正確」とその素晴らしさを紹介する記事を掲載した。
【その他の写真】
記事は、「日本の新幹線は同じミスを2度と繰り返さない」と紹介している。3月11日の東日本大震災。あれほどの大地震が起きても脱線した新幹線は1本もなく、「安全神話」は崩れなかった。地震が来る9秒前に非常ブレーキをかけ始めたのである。JR東日本が太平洋沿岸や新幹線沿線の9カ所に設置していた早期地震検知警報システムが作動したおかげだ。
これは2004年の新潟県中越地震で得た経験と教訓が生かされた形。当時、走行中だった上越新幹線の計8両が脱線した。幸い死者やけが人は出なかったものの、日本の鉄道当局は徹底した原因究明を行い、深く反省した。記事は「これが、事故が発生したら同じような事故は2度と起こさないという日本の鉄道の『安全文化』だ」と絶賛した。
一方、中国では「中国版新幹線」とも称される北京と上海を結ぶ京滬高速鉄道が6月30日に開通したばかりだが、今月10日からの4日間で3回も故障するという失態ぶりを見せている。これに対し、中国鉄道部は「日本の新幹線もトラブルは度々起きている」とし、国民に理解を求めたばかり。(翻訳・編集/NN)
<引用ここまで>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110716-00000007-rcdc-cn
47年間死亡事故がゼロであることは素晴らしいし、同じミスを繰り返さない管理の仕方は高く評価できると思います。
失敗から謙虚に学ぶこのような態度が日本の経済成長を支えたのだと思うし、そのことは私も見習いたいです。
それにしても手放しで褒める中国紙に違和感を覚える私は中国のイメージに囚われているのでしょうか!
<冒頭記事より引用>
2011年7月15日、中国国営新華社通信系の週刊紙・国際先駆導報は、「日本の新幹線は開業から47年間、1件も死亡事故が起きていない。列車到着時間も秒単位で正確」とその素晴らしさを紹介する記事を掲載した。
【その他の写真】
記事は、「日本の新幹線は同じミスを2度と繰り返さない」と紹介している。3月11日の東日本大震災。あれほどの大地震が起きても脱線した新幹線は1本もなく、「安全神話」は崩れなかった。地震が来る9秒前に非常ブレーキをかけ始めたのである。JR東日本が太平洋沿岸や新幹線沿線の9カ所に設置していた早期地震検知警報システムが作動したおかげだ。
これは2004年の新潟県中越地震で得た経験と教訓が生かされた形。当時、走行中だった上越新幹線の計8両が脱線した。幸い死者やけが人は出なかったものの、日本の鉄道当局は徹底した原因究明を行い、深く反省した。記事は「これが、事故が発生したら同じような事故は2度と起こさないという日本の鉄道の『安全文化』だ」と絶賛した。
一方、中国では「中国版新幹線」とも称される北京と上海を結ぶ京滬高速鉄道が6月30日に開通したばかりだが、今月10日からの4日間で3回も故障するという失態ぶりを見せている。これに対し、中国鉄道部は「日本の新幹線もトラブルは度々起きている」とし、国民に理解を求めたばかり。(翻訳・編集/NN)
<引用ここまで>
2011 / 07 / 10 ( Sun ) 11:27:31
野村ID封じたアノ投手が…年商40億円の社長さんに!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110709-00000018-ykf-spo
プロ野球という華々しい世界からの転進はとても大変だったと思いますが、松谷さんの様々な経験が現在の仕事にすべて役立っているのを感じます。
そういった意味では、人生に無駄なことは何もないということになるのではないでしょうか。
松谷さんは、プロ野球を去ることになったことにこだわり執着するのではなく、貴重な経験として生かす道を選択したからこそ今があるのだと思います。
プロ野球という特殊な世界で生きた人の第二の人生は確かに大変な部分もあると思います。本文に「誰でも引退するときが来ます。選手たちの受け皿企業がつくれたら素晴らしいですね。」とありますが、ぜひ実践して頂きたいと思いますし、プロ野球選手だけでなく、様々な経験を持つ多くの人を迎え入れることができる企業を創っていって頂きたいと思います。
経営は大変な部分があると思いますが、後から続く人のためにも、これからもがんばって頂きたいと思います。
<冒頭記事より引用>
★元巨人、近鉄→建設専門工事会社スチールエンジ社長・松谷竜二郎さん(46)
デビュー3年目の1991年、初先発で野村ID野球を封じ、2試合連続完投勝利を挙げたことからヤクルトキラーと呼ばれた。荒々しい投球が持ち味で中継ぎとしても活躍した。現在は都内の建設工事会社で社長として豪腕を振るっている。床版の専門工事では業界トップ。野球も企業も基本は“人創り”だという。(聞き手・米沢秀明)
【フォト】巨人時代、ヤクルトキラーとして活躍した松谷さん
【野球より社長が難しい】
代表となって7年になります。おかげさまで今年は年商40数億円といったところ。80億円あった昨年には及びませんが、景気を考えれば堅調に事業展開しています。
事業の柱は、大手ゼネコンから請け負う建築物の床版の専門工事です。鉄骨を組んだ直後のビルに床はないわけですが、これに床のベースとなる材料を組んで、生コンを流す直前までの工事を行うのです。
東京・丸の内のパレスホテル、大阪駅前のヨドバシカメラなどの工事も請け負いました。500万円ぐらいから3億円ぐらいまで、年間の工事数は600件ぐらいになります。
引退後、藤田元司さん(元巨人監督)の紹介で同種の建設会社に入社しましたが、1年ほどで経営が傾いてしまいました。その後、現在の会社の前身会社に拾ってもらいました。床版の専門工事部門が独立して「スチールエンジ」となり、3年間営業を務めたあと代表になりました。
仕事は代表となった現在が一番忙しいし、大変です。現場の管理、パトロール、営業、経営と多岐にわたっていますから。野球選手とどちらが、といわれたら、やはり今の方が大変です。野球は基本的に自分を追求していけばいい。しかし会社経営となるとそうはいかない。社員50人、職人50人、協力業者がいてその家族がいる。結構な人数の生活を預かっていますから。
【作業現場は野球と同じ】
一番若い職人は15−16歳です。最初、この業界に入ったときは彼らにオマエ呼ばわりされるところから始まりました。職人も35歳ぐらいになってくると作業はきつくなってきますから、管理の方に配置転換をしたりします。これはまさに野球の世界と同じなんです。
リスクを分散する意味でも営業所も全国に展開していかなければいけません。東京、大阪、名古屋、仙台、福岡と広がっています。福岡営業所は5年前につくったのですが、やはり最初は新参者が入っていくとアレルギー反応があるわけです。
同業者や関係者の皆さんの人柄を勉強するところからはじまって、いろんな方たちと知り合って、付き合いが生まれました。王(貞治ソフトバンク会長)さんにも大変お世話になりました。「この人が経営者になったらすごいだろうなあ」と思わせる人ですね。
自分が引退後、会社務めを選んだのは、やはり社会人野球を経験したスピリットがあるからだと思います。もし、高校から直接プロに行っていたら、現在の金銭感覚や、精神構造はなかったでしょう。軍隊のような巨人での生活も基礎になっています。
当時はとにかく一流選手揃いの巨人でしたから、1シーズン通しても2軍との選手の入れ替えが2人しかなかったということもありました。どんなに下で良い成績でも簡単に上がれないわけです。自分は2軍でノーヒットノーランを2回やって、上げてもらえました。「さすがにこれくらいやれば上げてもらえるんだな」と思ったほどです。
【人材なくして企業なし】
経営理念は人が人を育てる人間企業です。人を楽しませるのも悲しませるのも人です。すべて人とのかかわりです。しっかりした人をつくれば会社はよくなります。朝8時50分には朝礼、かしわ手を打ち、スピーチもしてもらいますね。性格的にゴルフコンペから花見までつい口を出してしまうんです。最近はできるだけ任せるようにしていますが。
野球をやめるときには、どうせやるなら社長になれるように頑張ろうと思いました。今は野球に区切りをつけて、違う世界に飛び出したのはよかったと思います。野球の世界は小さいですから。
巨人で6年プレーしたあと、近鉄へ移籍となったのは、野茂英雄がメジャーへ行き、阪神大震災が起きた1995年のシーズン前でした。近鉄では3年目に肩を故障。その年の夏ぐらいには、翌年の戦力構想から外れているのがわかりました。
末次利光さん(元巨人)に相談したら、台湾球界のテストを受けられるというので、2週間入院して肩を治して挑戦したのですが、球威は戻りませんでした。2月になって引退を決意しました。
サラリーマンになって成功しようと思ったら、野球のことはどこかへ置いてきた方がいいでしょう。プライドが邪魔になることも多いからです。近鉄でゴミ扱いされた経験は無駄ではなかったと思います。
誰でも引退するときが来ます。選手たちの受け皿企業がつくれたら素晴らしいですね。会社経営はまだ始まったばかり。これからもっと頑張っていきますよ。
■まつたに・りゅうじろう 1964年7月10日、大阪市旭区出身。大阪市立高から大阪ガスを経て89年巨人にドラフト2位入団。同年のイースタン大洋戦で無安打無得点試合を達成し、リリーフで1軍デビューした。91年5月のヤクルト戦で初先発し、プロ初完投勝利を記録。6月にもヤクルトから完封勝利を挙げた。92年イースタン大洋戦で再び無安打無得点試合を達成。95年近鉄に移籍し97年引退。現役通算7年、59試合、4勝4敗1S。現在はスチールエンジ株式会社(東京都中央区日本橋馬喰町1の5の6)の代表取締役社長。
<引用ここまで>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110709-00000018-ykf-spo
プロ野球という華々しい世界からの転進はとても大変だったと思いますが、松谷さんの様々な経験が現在の仕事にすべて役立っているのを感じます。
そういった意味では、人生に無駄なことは何もないということになるのではないでしょうか。
松谷さんは、プロ野球を去ることになったことにこだわり執着するのではなく、貴重な経験として生かす道を選択したからこそ今があるのだと思います。
プロ野球という特殊な世界で生きた人の第二の人生は確かに大変な部分もあると思います。本文に「誰でも引退するときが来ます。選手たちの受け皿企業がつくれたら素晴らしいですね。」とありますが、ぜひ実践して頂きたいと思いますし、プロ野球選手だけでなく、様々な経験を持つ多くの人を迎え入れることができる企業を創っていって頂きたいと思います。
経営は大変な部分があると思いますが、後から続く人のためにも、これからもがんばって頂きたいと思います。
<冒頭記事より引用>
★元巨人、近鉄→建設専門工事会社スチールエンジ社長・松谷竜二郎さん(46)
デビュー3年目の1991年、初先発で野村ID野球を封じ、2試合連続完投勝利を挙げたことからヤクルトキラーと呼ばれた。荒々しい投球が持ち味で中継ぎとしても活躍した。現在は都内の建設工事会社で社長として豪腕を振るっている。床版の専門工事では業界トップ。野球も企業も基本は“人創り”だという。(聞き手・米沢秀明)
【フォト】巨人時代、ヤクルトキラーとして活躍した松谷さん
【野球より社長が難しい】
代表となって7年になります。おかげさまで今年は年商40数億円といったところ。80億円あった昨年には及びませんが、景気を考えれば堅調に事業展開しています。
事業の柱は、大手ゼネコンから請け負う建築物の床版の専門工事です。鉄骨を組んだ直後のビルに床はないわけですが、これに床のベースとなる材料を組んで、生コンを流す直前までの工事を行うのです。
東京・丸の内のパレスホテル、大阪駅前のヨドバシカメラなどの工事も請け負いました。500万円ぐらいから3億円ぐらいまで、年間の工事数は600件ぐらいになります。
引退後、藤田元司さん(元巨人監督)の紹介で同種の建設会社に入社しましたが、1年ほどで経営が傾いてしまいました。その後、現在の会社の前身会社に拾ってもらいました。床版の専門工事部門が独立して「スチールエンジ」となり、3年間営業を務めたあと代表になりました。
仕事は代表となった現在が一番忙しいし、大変です。現場の管理、パトロール、営業、経営と多岐にわたっていますから。野球選手とどちらが、といわれたら、やはり今の方が大変です。野球は基本的に自分を追求していけばいい。しかし会社経営となるとそうはいかない。社員50人、職人50人、協力業者がいてその家族がいる。結構な人数の生活を預かっていますから。
【作業現場は野球と同じ】
一番若い職人は15−16歳です。最初、この業界に入ったときは彼らにオマエ呼ばわりされるところから始まりました。職人も35歳ぐらいになってくると作業はきつくなってきますから、管理の方に配置転換をしたりします。これはまさに野球の世界と同じなんです。
リスクを分散する意味でも営業所も全国に展開していかなければいけません。東京、大阪、名古屋、仙台、福岡と広がっています。福岡営業所は5年前につくったのですが、やはり最初は新参者が入っていくとアレルギー反応があるわけです。
同業者や関係者の皆さんの人柄を勉強するところからはじまって、いろんな方たちと知り合って、付き合いが生まれました。王(貞治ソフトバンク会長)さんにも大変お世話になりました。「この人が経営者になったらすごいだろうなあ」と思わせる人ですね。
自分が引退後、会社務めを選んだのは、やはり社会人野球を経験したスピリットがあるからだと思います。もし、高校から直接プロに行っていたら、現在の金銭感覚や、精神構造はなかったでしょう。軍隊のような巨人での生活も基礎になっています。
当時はとにかく一流選手揃いの巨人でしたから、1シーズン通しても2軍との選手の入れ替えが2人しかなかったということもありました。どんなに下で良い成績でも簡単に上がれないわけです。自分は2軍でノーヒットノーランを2回やって、上げてもらえました。「さすがにこれくらいやれば上げてもらえるんだな」と思ったほどです。
【人材なくして企業なし】
経営理念は人が人を育てる人間企業です。人を楽しませるのも悲しませるのも人です。すべて人とのかかわりです。しっかりした人をつくれば会社はよくなります。朝8時50分には朝礼、かしわ手を打ち、スピーチもしてもらいますね。性格的にゴルフコンペから花見までつい口を出してしまうんです。最近はできるだけ任せるようにしていますが。
野球をやめるときには、どうせやるなら社長になれるように頑張ろうと思いました。今は野球に区切りをつけて、違う世界に飛び出したのはよかったと思います。野球の世界は小さいですから。
巨人で6年プレーしたあと、近鉄へ移籍となったのは、野茂英雄がメジャーへ行き、阪神大震災が起きた1995年のシーズン前でした。近鉄では3年目に肩を故障。その年の夏ぐらいには、翌年の戦力構想から外れているのがわかりました。
末次利光さん(元巨人)に相談したら、台湾球界のテストを受けられるというので、2週間入院して肩を治して挑戦したのですが、球威は戻りませんでした。2月になって引退を決意しました。
サラリーマンになって成功しようと思ったら、野球のことはどこかへ置いてきた方がいいでしょう。プライドが邪魔になることも多いからです。近鉄でゴミ扱いされた経験は無駄ではなかったと思います。
誰でも引退するときが来ます。選手たちの受け皿企業がつくれたら素晴らしいですね。会社経営はまだ始まったばかり。これからもっと頑張っていきますよ。
■まつたに・りゅうじろう 1964年7月10日、大阪市旭区出身。大阪市立高から大阪ガスを経て89年巨人にドラフト2位入団。同年のイースタン大洋戦で無安打無得点試合を達成し、リリーフで1軍デビューした。91年5月のヤクルト戦で初先発し、プロ初完投勝利を記録。6月にもヤクルトから完封勝利を挙げた。92年イースタン大洋戦で再び無安打無得点試合を達成。95年近鉄に移籍し97年引退。現役通算7年、59試合、4勝4敗1S。現在はスチールエンジ株式会社(東京都中央区日本橋馬喰町1の5の6)の代表取締役社長。
<引用ここまで>
2011 / 07 / 06 ( Wed ) 11:18:41
就活、女子は現実的選択…正規雇用が男子上回る
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110705-00001288-yom-soci
女性の現実的で堅実、それに細やかな感性を考えると、今回の結果は当然のことのようにも思えるし、今後もこのような傾向は続くのではないだろうか。
女性は結婚、出産などにより働くことにおいてはどうしても男性より不利な立場にあるが、社会的な価値観の変化や社会整備が進むことにより女性優位の状況はもっとはっきりするような気がする。
男性は時代に対応するためにも、社会的に刷り込まれた価値観を見直し、先入観と偏見を払拭することが大切ではないだろうか。
<冒頭記事より引用>
今春卒業した大学生のうち、正社員など正規雇用で就職した割合は、女子が66・4%で男子の57・7%を8・7ポイント上回っていたことが、読売新聞の「大学の実力 教育力向上の取り組み」調査でわかった。
就職活動で女子が男子より現実的な選択をしている傾向がうかがえる。男女別の正規雇用率が分かったのは初めて。
男女合わせた卒業生の正規雇用率は61・5%で、昨年調査より0・1ポイント下がった。
学部別では、男女とも生活科学・健康科学などの「家政」系学部の健闘が目立ち、男子は実数は少ないものの67・5%で、法・経済などの「社会科学」(67・8%)に次いで2位。女子は71・6%で、卒業後に大半が正規雇用で臨床研修を受ける「医・歯学」(80・5%)を除くとトップだった。
調査は2008年に始まり、4回目。今年は、企業が重視するコミュニケーション能力の育成や就職支援などをテーマに質問した。回答率は84%で、全学生数の94%をカバーしている。
<引用ここまで>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110705-00001288-yom-soci
女性の現実的で堅実、それに細やかな感性を考えると、今回の結果は当然のことのようにも思えるし、今後もこのような傾向は続くのではないだろうか。
女性は結婚、出産などにより働くことにおいてはどうしても男性より不利な立場にあるが、社会的な価値観の変化や社会整備が進むことにより女性優位の状況はもっとはっきりするような気がする。
男性は時代に対応するためにも、社会的に刷り込まれた価値観を見直し、先入観と偏見を払拭することが大切ではないだろうか。
<冒頭記事より引用>
今春卒業した大学生のうち、正社員など正規雇用で就職した割合は、女子が66・4%で男子の57・7%を8・7ポイント上回っていたことが、読売新聞の「大学の実力 教育力向上の取り組み」調査でわかった。
就職活動で女子が男子より現実的な選択をしている傾向がうかがえる。男女別の正規雇用率が分かったのは初めて。
男女合わせた卒業生の正規雇用率は61・5%で、昨年調査より0・1ポイント下がった。
学部別では、男女とも生活科学・健康科学などの「家政」系学部の健闘が目立ち、男子は実数は少ないものの67・5%で、法・経済などの「社会科学」(67・8%)に次いで2位。女子は71・6%で、卒業後に大半が正規雇用で臨床研修を受ける「医・歯学」(80・5%)を除くとトップだった。
調査は2008年に始まり、4回目。今年は、企業が重視するコミュニケーション能力の育成や就職支援などをテーマに質問した。回答率は84%で、全学生数の94%をカバーしている。
<引用ここまで>


